カテゴリ: 洛陽三十三所観音巡礼
洛陽三十三所観音巡礼(第九日目)最終日
洛陽三十三所観音巡礼
【第九日目(最終日)】福勝寺-椿寺地蔵院-東向観音寺-清和院←こちらが最後の札番所です。
『福勝寺』第二十九番札所
『椿寺地蔵院』第三十番札所
『東向観音寺』第三十一番札所
そして…
いよいよ…
最後の札所です!!
やはり、始めたのが第一番札所からなので、最後は最終札番所のココでしょう(*^。^*)v
『清和院』第三十三番札所
満願達成です(#^.^#)v
満願証もいただきました。
この日のおおよその歩数
満願達成したご褒美に『ぎおん徳屋』で黒蜜きなこかき氷いっただきましたー(*^。^*)vv
約二ヶ月ほどかけて巡りました。満願後にはとても素晴らしい出会いもありました。とてもいい思い出がまたひとつ出来ました。誘ってくれた友よ、ありがとう~~~ヽ(^。^)ノ
洛陽三十三所観音巡礼(第八日目)
洛陽三十三所観音巡礼
【第八日目】平等寺(因幡堂)
『平等寺(因幡堂)』第二十七番札所
なんと!この日は7月14日!!・・・と言えば、祇園祭の宵々々山です。
こちらの洛陽三十三所観音巡礼は一ヶ所のみ巡りましたが、山鉾御朱印巡りも始めた日なので、山鉾が建ち並ぶ近辺にはこちらの平等寺のみだったので、一緒に巡ってきました(*^^)v
そしてこの日で29ヶ所!!
あと4ヶ所で満願・・・ってことで、この7月中に満願予定です!!
一気に行っちゃうよー(^○^)v
洛陽三十三所観音巡礼(第七日目)
洛陽三十三所観音巡礼
【七日目】大蓮寺-新長谷寺(真如堂)-金戒光明寺(黒谷)-壬生寺中院ー長圓寺
『大蓮寺』第八番札所
このお寺では蓮の花が美しく咲くということで有名なようです。
『新長谷寺(真如堂)』第五番札所
『金戒光明寺(黒谷)』第六番札所
『壬生寺中院』第二十八番札所
『長圓寺』第二十四番札所
この日のおおよその歩数
この日は真如堂方面の三ヶ所の予定でしたが、暑かったけど意外と気力(かき氷を欲するほどだと無気力)があったため勢いで壬生寺方面(二ヶ所)も行っちゃいました(*^。^*)v
洛陽三十三所観音巡礼(第六日目)
洛陽三十三所観音巡礼
【第六日目】正運寺
『正運寺』第二十六番札所
この日は映画『アンダルシア』の舞台挨拶を観に行くので、映画館に比較的近いこの正運寺さんの一か所だけですが足を運びました。
あと十か所です!!
洛陽三十三所観音巡礼(第五日目)
洛陽三十三所観音巡礼
【第五日目】蓮華王院(三十三間堂)-六波羅蜜寺
『蓮華王院』第十七番札所
『六波羅蜜寺』第十五番札所
この日のおおよその歩数
この日で二十二ヶ所巡りました。
あと三分の一ですv
洛陽三十三所観音巡礼(第四日目)
洛陽三十三所観音巡礼
【第四日目】法音院→今熊野観音寺→泉涌寺→善能寺→法性寺
法性寺さん以外はすべてこの泉涌寺さんの総門をくぐった中にあります。
『法音院』第二十五番札所
『今熊野観音寺』第十九番札所
『泉涌寺』第二十番札所
『善能寺』第十八番札所
『法性寺』第二十一番札所
この日のおおよその歩数
洛陽三十三所観音巡礼(第三日目)
2011年6月14日(火)
【第三日目】東寺-城興寺
『東寺』第二十三番札所
『城興寺』第二十二番札所
この日歩いたおおよその歩数
洛陽三十三所観音巡礼(第二日目)
洛陽三十三所観音巡礼…『第二日目』仲源寺-長楽寺-青龍寺-清水寺(善光寺堂-奥の院-本堂-朝倉堂-泰産寺)
『仲源寺』第十六番札所
『長楽寺』第七番札所
『青龍寺』第九番札所
これより清水寺参道に入るのですが…
それまでの静かだった京の町並みですが、どっから沸いてきた?ってくらいの人・人・人・・・!!!
修学旅行生や外国人観光客などものすごいにぎやかでした(^_^;)
でも清水寺の中に入ると…そうでもなく、普通でした。
参道のお土産物店はおおにぎわいでしたが。
『清水寺』
清水寺は第十番から第十四番まで五つの札所があります。
本堂のところでまとめて御朱印はいただけます。
それぞれのお堂を参拝するもいつも来ていても本堂くらいしかほとんど意識なく参拝しているので改めて参拝するとまた違う気持ちが入ります。
この時期は泰産寺のみ修復中のため近くまでは行きましたが、参拝は出来ず…でも手を合わせるのみで。
『清水寺善光寺堂』第十番札所
この善光寺堂(旧地蔵院)は仁王門の手前左側にあります。
如意輪観音様が祀られています。
そして右手前の祠に首ふり地蔵様。
こちらは首を回して願い事をするのだそうです。ちょうど修学旅行生の女子たちがキャンキャンとそのそばでにぎわってましたのでそのまま仁王門くぐって本堂の方へと向かいました。
『清水寺奥の院』第十一番札所
『清水寺本堂』第十二番札所
『清水寺朝倉堂』第十三番札所
『清水寺泰産寺』第十四番札所
この日、歩いたおおよその歩数。
洛陽三十三所観音巡礼(第一日目)
【第一日目】六角堂-誓願寺-革堂行願寺-廬山寺-護浄院(清荒神)
『六角堂頂法寺』第一番札所
専用の御朱印帳があります。
まずは第一番札所へ行きましたのでここから始まり、ここで御朱印帳も求めました。
【洛陽三十三所観音巡礼】とは…
後白河天皇が、広域で巡礼が難しい西国三十三ヵ所に代わるものとして平安時代に定めたものが始まりとしています。
その後、江戸時代には順路が定着して、洛陽三十三所観音巡礼が一般的となりました。
六角堂は聖徳太子創建の寺としてご持仏である如意輪観音像を安置されているとのことです。
へそ石
十六羅漢
洛陽三十三所の御朱印はこのように第一番から第三十三番までそれぞれの説明を片面にもう片面に御朱印して頂きます。
まぁいわゆるその場所へ行って参拝してきた証のようなもの。
誰かが言ってましたがスタンプラリーみたいな感じ…軽く言えばね(^_^;)
でも御朱印はご住職などが毛筆で書きあげてくださいます・・・ありがたいです。
ひと筆ひと筆に観音様への願いを感じ重みを感じます。
洛陽…の、ご朱印帳は2種類あります。
こちらの蛇腹になっているもの(これは両面使います)と、表紙から豪華な一枚一枚取り外したりも出来る紐で結んであるものがあります。
『誓願寺』第二番札所
こちらは以前にも訪れた場所。
猫ちゃんが何匹かいたなぁ~(#^.^#)v
顔だしパネルが置いてあるのがなんとも観光地(新京極通り)らしいですが^^;
上の写真…左側にある石柱は「迷子のみちしるべ」
右側に教ゆる方、左側にさがす方と彫ってある。
その当時、落し物、迷子などを探すとき、落とした人はさがす方へ、拾った人は教える方へこの石に紙に書いて貼ったそうな。
こちらの誓願寺限定のご集印帳はピンク色の地で金で和泉式部が描かれています。
洛陽・・・のご集印帳は決まっているので違いますが。
『革堂行願寺』第四番札所
行円上人ゆかりの寺
昔、行円は猟師であり、ある日狩猟した時に射止めた雌鹿のお腹から子鹿が生まれ、殺生を悔い改め仏門に入ったとのこと。
その雌鹿の皮を肌身離さず夏冬関係なくずっと身にまとっていて皮聖と呼ばれいつしか革堂となったのが由来とか。
簡単に書いちゃってるので詳しく書かれてる方などもいらっしゃいますんで検索してみてください。
こちらには幽霊絵馬なるものもあり、それだけ聞くとなんともコワイ感じですが、こちらの伝説もなんともセツナイものです。
江戸時代(文化13年頃)この寺の近くに質屋があり、そこの主人が熱心な法華信者であり、その子供の子守に近江から百姓娘を雇うことが出来ました。
ふみという名の娘は毎日のようにこの寺に来て子守をしていたため、いつの間にかお寺で毎日謳われる御詠歌を覚えてしまい、それを歌って子守をしていたところ、
熱心な法華信者である質屋の主人がそれを聞いて怒り狂い殴る蹴るの折檻をしておふみを殺してしまい、庭に埋めてしまいます。
近江の両親には男と駆け落ちをして出て行ったので行方はわからないと伝えました。
でもその話にどうしても両親は信じられず、革堂で観音様に娘がどこにいるのか教えて欲しいと祈り続けました。
するとその夜、娘が亡霊となって両親のもとに現れ、「私はご主人に殺されてしまい、今は庭に埋められています。どうか一緒に大切にしていた手鏡も埋めてください」と告げたのでした。
こうして両親の奉行所への訴えにより質屋の主人は捕まり、娘のおふみの遺体は無事、両親のもとに帰ったそうです。
両親は観音様へのお礼に絵馬を描いて手鏡を添えて奉納したと伝えられてます。
微かに若い娘の姿が浮かび、その左側には手鏡がはめこんである「幽霊絵馬」は、毎年8月22~23日の幽霊絵馬供養で公開されます。
また8月22、23日には行円上人像、上人の鹿皮の衣等を所蔵する宝物館も公開されます。
「はなをみて いまはのぞみも こうどうの にわのちぐさも さかりなるらん」
これが御詠歌です。
『蘆山寺』第三十二番札所
源氏物語の紫式部邸宅跡
蘆山寺は1245年(寛元3年)出雲路に蘆山寺を開く。
その後、1573年(天正元年)現在の地に移る。
そして1965年(昭和40年)この地が紫式部邸宅跡であることが判明する。
こちらのお庭…源氏庭には紫式部に因み紫の桔梗が咲いているそうですが、参拝に来た日はちょびっと早かったのでお庭には行っていません。
9月末ごろまで静かに花開くとのことなのでまた日を改めて伺いたいと思います。
筆塚
紫式部の歌碑
もみじのプロペラが可愛くさりげなく…
『護浄院(清荒神)』第三番札所
きよしこうじんさん・こうじんさんと親しみを持って呼ばれる。
荒神口の名の起源で古くから火の守護神で家庭のかまどに祀られて普段から溶け込んでいます。
こちらの近くに高校があり、「鴨沂高校」これがなんと読むのかというのがずっと残ってて帰ってから調べました(^_^;)
iPhone持ってるんだからすぐにでも調べられるけど(笑)
≪おうきこうこう≫でした。
これでスッキリ♪
この日、歩いたおおよその歩数
洛陽三十三所観音巡礼(第一日目)
2011年5月27日(金)
【第一日目】六角堂-誓願寺-革堂行願寺-廬山寺-護浄院(清荒神)
『六角堂頂法寺』第一番札所
専用の御朱印帳があります。
まずは第一番札所へ行きましたのでここから始まり、ここで御朱印帳も求めました。
【洛陽三十三所観音巡礼】とは…
後白河天皇が、広域で巡礼が難しい西国三十三ヵ所に代わるものとして平安時代に定めたものが始まりとしています。
その後、江戸時代には順路が定着して、洛陽三十三所観音巡礼が一般的となりました。
六角堂は聖徳太子創建の寺としてご持仏である如意輪観音像を安置されているとのことです。
へそ石
十六羅漢
洛陽三十三所の御朱印はこのように第一番から第三十三番までそれぞれの説明を片面にもう片面に御朱印して頂きます。
まぁいわゆるその場所へ行って参拝してきた証のようなもの。
誰かが言ってましたがスタンプラリーみたいな感じ…軽く言えばね(^_^;)
でも御朱印はご住職などが毛筆で書きあげてくださいます・・・ありがたいです。
ひと筆ひと筆に観音様への願いを感じ重みを感じます。
洛陽…の、ご朱印帳は2種類あります。
こちらの蛇腹になっているもの(これは両面使います)と、表紙から豪華な一枚一枚取り外したりも出来る紐で結んであるものがあります。
『誓願寺』第二番札所
こちらは以前にも訪れた場所。
猫ちゃんが何匹かいたなぁ~(#^.^#)v
顔だしパネルが置いてあるのがなんとも観光地(新京極通り)らしいですが^^;
上の写真…左側にある石柱は「迷子のみちしるべ」
右側に教ゆる方、左側にさがす方と彫ってある。
その当時、落し物、迷子などを探すとき、落とした人はさがす方へ、拾った人は教える方へこの石に紙に書いて貼ったそうな。
こちらの誓願寺限定のご集印帳はピンク色の地で金で和泉式部が描かれています。
洛陽・・・のご集印帳は決まっているので違いますが。
『革堂行願寺』第四番札所
行円上人ゆかりの寺
昔、行円は猟師であり、ある日狩猟した時に射止めた雌鹿のお腹から子鹿が生まれ、殺生を悔い改め仏門に入ったとのこと。
その雌鹿の皮を肌身離さず夏冬関係なくずっと身にまとっていて皮聖と呼ばれいつしか革堂となったのが由来とか。
簡単に書いちゃってるので詳しく書かれてる方などもいらっしゃいますんで検索してみてください。
こちらには幽霊絵馬なるものもあり、それだけ聞くとなんともコワイ感じですが、こちらの伝説もなんともセツナイものです。
江戸時代(文化13年頃)この寺の近くに質屋があり、そこの主人が熱心な法華信者であり、その子供の子守に近江から百姓娘を雇うことが出来ました。
ふみという名の娘は毎日のようにこの寺に来て子守をしていたため、いつの間にかお寺で毎日謳われる御詠歌を覚えてしまい、それを歌って子守をしていたところ、
熱心な法華信者である質屋の主人がそれを聞いて怒り狂い殴る蹴るの折檻をしておふみを殺してしまい、庭に埋めてしまいます。
近江の両親には男と駆け落ちをして出て行ったので行方はわからないと伝えました。
でもその話にどうしても両親は信じられず、革堂で観音様に娘がどこにいるのか教えて欲しいと祈り続けました。
するとその夜、娘が亡霊となって両親のもとに現れ、「私はご主人に殺されてしまい、今は庭に埋められています。どうか一緒に大切にしていた手鏡も埋めてください」と告げたのでした。
こうして両親の奉行所への訴えにより質屋の主人は捕まり、娘のおふみの遺体は無事、両親のもとに帰ったそうです。
両親は観音様へのお礼に絵馬を描いて手鏡を添えて奉納したと伝えられてます。
微かに若い娘の姿が浮かび、その左側には手鏡がはめこんである「幽霊絵馬」は、毎年8月22~23日の幽霊絵馬供養で公開されます。
また8月22、23日には行円上人像、上人の鹿皮の衣等を所蔵する宝物館も公開されます。
「はなをみて いまはのぞみも こうどうの にわのちぐさも さかりなるらん」
これが御詠歌です。
『蘆山寺』第三十二番札所
源氏物語の紫式部邸宅跡
蘆山寺は1245年(寛元3年)出雲路に蘆山寺を開く。
その後、1573年(天正元年)現在の地に移る。
そして1965年(昭和40年)この地が紫式部邸宅跡であることが判明する。
こちらのお庭…源氏庭には紫式部に因み紫の桔梗が咲いているそうですが、参拝に来た日はちょびっと早かったのでお庭には行っていません。
9月末ごろまで静かに花開くとのことなのでまた日を改めて伺いたいと思います。
筆塚
紫式部の歌碑
もみじのプロペラが可愛くさりげなく…
『護浄院(清荒神)』第三番札所
きよしこうじんさん・こうじんさんと親しみを持って呼ばれる。
荒神口の名の起源で古くから火の守護神で家庭のかまどに祀られて普段から溶け込んでいます。
こちらの近くに高校があり、「鴨沂高校」これがなんと読むのかというのがずっと残ってて帰ってから調べました(^_^;)
iPhone持ってるんだからすぐにでも調べられるけど(笑)
≪おうきこうこう≫でした。
これでスッキリ♪
この日、歩いたおおよその歩数