二人姉妹の私の妹が2009年10月21日午後6時49分永眠致しました。
あまりにも早すぎる死…
まだ私の中でその死を受け入れられているのかいないのか…
その突然の死のコト、以下に綴っています。
ただ…結構キツイんで、これは自分の覚書のようなもんです。。
あまりにも早すぎる死…
まだ私の中でその死を受け入れられているのかいないのか…
その突然の死のコト、以下に綴っています。
ただ…結構キツイんで、これは自分の覚書のようなもんです。。
妹が癌であると連絡来たのが8月も終わる頃…
最初は片耳が聞こえにくいということで病院で検査を受けたとのこと。
その結果…悪性の腫瘍であるらしいとのこと。
しかしあまりよく何を言っているのかちょっとわかりづらくて…
病名やら今の状況やら手術するのかとか今後の治療方法とか云々…
聞いてもわからないとか、まだとか、なんとかかんとか・・
どうにもこうにも私もどうしたものかと・・
それで次に病院へ行く時に一緒に行くと伝え…
そして10月20日…
妹の旦那からようやく電話がかかってきた。
すると、最初は何を言っているのか私の頭の中でぐるぐる・・・
とても整理つかない状態。。
ちょうど旦那がいたので電話を代わってもらい、話を聞いてもらった。
8月初め頃、片方の耳の耳鳴りがするということで病院へ行く。
耳の入り口にデキモノがあり、組織を採って検査をし、その結果をすぐに聞きに行かなかったそう。
8月の終わり頃にようやく検査結果を聞きに行く。
しかし…そこで悪性の腫瘍で手術など治療をしていかないといけないようなことを言われるも、その病院(S病院)では手術など無理だとのことで、DN病院を紹介される。
その後、妹は体調もすぐれないらしく、しんどいとかフラフラするとか…
約2か月ほど放置?していたよう・・(そんな状態なのに・・・)
こちらも電話など連絡しても特に何も言われない…妹家族(旦那や娘たち)からも特に何も連絡来ず…
…で、連絡来たと思ったら、もう言葉にすることが出来ない。
19日午前、妹の旦那が仕事へ行く前は特に変わった様子もなく普通であったらしいが、その後意識がなくなったらしく、病院へ行くと・・
癌が頸動脈に巻き込んでいる。
首から脳にいく頸動脈を腫瘍が大きくなっている。
手術のしようがない。
放射線などの治療をしても無意味。
意識がなかったり朦朧としていたり。
点滴で栄養を送っても、本人の栄養にもなるが癌の栄養にもなるため、どうすることも出来ない。
私自身、今何をしたらどうしたらいいのか頭の中でぐるぐるしているだけでわからない。
10月21日(水)
私は、S病院へ出向き、ナースステーションにて担当医から妹の病状など話を聞きたいと申し出る。
しかし・・・最初はご家族の方に、みたいな感じで少し待たされたが、妹の夫から話を聞くもどうにも理解できないと言って詳しく聞きたいと・・・二人きりの姉妹なので。。
20~30分程度待たされたが、担当医も応対してくださった。
(この時点での妹とは病室は面会謝絶となっており、身内だろうが会われない状態であった)
だいたいの話は妹の夫からのと同じなんですけど、8月5日初診…左耳のデキモノわずか2ヶ月ほどで腫瘍は左耳の入り口から脳・・・頭の中に入り込み8㎝ほどに肥大。
頚動脈やら脳などに巻き込んで、誰も手出しできない状態にまでに・・・。
やはり19日朝に意識障害を起こし病院へ、そして普通そこまで腫瘍が肥大し脳にまで来ていると痛みも相当だと思うが、意識が既になくなっていることから痛みも相当きつくつねらないと感じないまでになっていたとのこと。
私が病院へ行った21日には担当医より、もう意識は戻らないと言われる。
そして、この状態だと2ヶ月とか持たない・・・数日かも、すぐかも知れないと。。
もうそのあたりになったら、私は先生が何を言ってても はぁー そーですかー うーん など言うも耳から耳へというより、耳から頭へ言葉が突き抜けていってた感じです。
病名:聴器癌 頭蓋内浸潤 (扁平上皮癌)
この時点では点滴治療?として脱水を防ぐための点滴(水)をしていました。
もし・・・数日経過し10日以上とかになってくると、水だけの点滴だとむくみが発生するので、そのときはそのときで考えるというか、栄養分の点滴も考えないといけないが、今は栄養分を摂ると本人の体に栄養を送るのはもちろんのことだけど、癌にも栄養となってしまうとのこと。
先生より、かなり変貌しているかと思いますが会われますか?と言われ、ここ最近は会っていなかったし、そんなあと数日かもとか言われているのにココで会わなきゃ…とも思ったし、でも意識は全くないから会っても反応はないと言われましたが…。
病室の入り口で手袋(医療用?薄いゴム製のピッチリしたもの)をして、不織布みたいな割ぽう着のようなのを着て帽子も髪を覆うようにして着けて…ようやく妹と対面。
もう見た瞬間に衝撃を受けました。
ココにいるのが妹?
しばらく声が出ず…でも看護師さんから、声は最後まで聞こえるところだから意識がなく反応なくても届くから話しかけてくださいね。と言われました。
看護師さんが病室から出て行ったあと、少し呆然としていたけど、勇気ふり絞って声を出してみた。
もう涙声しか出てこなかったけれど、一生懸命いろいろ語りかけた。
この時、妹と会ったのが午後2時前後くらい。
そして病室を出てナースステーションに挨拶して病院を後にした。
その後、母がこのS病院と隣接している施設にて入所しているので、母のもとを訪れた。
母にはやはり…昨年に母の妹(私の叔母)がなくなったことさえ伝えられていないのに、妹…自分の娘が今こんな状態であると…伝えることが出来なかった。
でもほとんど毎日のように妹が近所に住んでいることもあり、母のもとを訪れていたのが姿を見せなくなっていったら・・・言葉には出さないかも知れないが、なんとなく気づくんじゃ…と。
この日、私も母を見て笑顔を見せてると涙が出てきそうですごくつらかったが…母の前では泣かずに頑張った。
午後3時過ぎかな…母のところから出て、自宅に帰るため駅へ。
近所に叔母(母のもう一人の妹)が住んでいるので、会って妹のことを話した。
そこで思わず涙があふれ出た。。
叔母も初耳!!しかも10日ほど前に妹夫婦や子供たちと歩いているところを見たばっかりだと…
いっぱい叔母に話して、ちょっと長居をしてしまったが、電車に乗り買い物を済ませて自宅に帰りついた。
ちょうど旦那も私より数分前くらいに帰宅していた。
そして夕飯の用意をしているところへ、携帯が鳴った。。
出てみると妹の旦那からだった…開口一番『ごめん…』
何言ってんの?しばらく『ごめん』としか言わない…
『あかんかった…』
何が?
『10分前に…心臓止まった』
もうそのあと何を言ってるのか・・電話を旦那に代わってもらい…しばらくして状況が…
さっき数時間前に妹に会ったばかりなのに…
それからは怒涛の時間が流れていって、バタバタと動いたりガンガン喋ったりしていると気がまぎれる…と言う言い方は変だけど、少しでも考える隙が入っちゃうと涙が止まらなくなってくるから、とにかくバタバタ動いた。
10月22日(木)
通夜は翌23日19時からとのことでその準備とかに追われる。
妹が眠っているところへも行き、しばらくそこで過ごす…
10月23日(金)
午後に妹は葬儀場にて祭壇(?こんな字だっけ?)に…
19時より通夜が始まる。
住職の読経を聞いているうちに涙がどんどん出てきて、会葬に来てくださっている方のお顔も涙でわからないまま・・
10月24日(土)
午前10時より告別式
そして火葬場へ…妹と最期の別れを…
なんなんやろ、涙はとめどなくあふれ出てくる。。
お骨になってしまった妹と対面…でも信じられない、これ妹と違うんちゃう?なんて思ってみたり。
でもお骨の部位などの説明がされる中、喉仏を見せられた瞬間、まさに座っている仏様が手を合わせているかのようなすごいハッキリした形の喉仏を見て、涙がぶわーっと出てきた。
今までにも父や叔母、祖父、旦那の父、母と葬儀に立ち会い、火葬場にも行き、お骨の喉仏も見てきましたが、すごい綺麗な形をした仏様の姿をした喉仏を見たのはこれが初めてと言っていいくらいでした。
それから…涙は私にボーっと考える隙をあたえると出てくるので、何でもどんなことでも喋ったり、我が家の愛猫のことをブログに綴ったりとして気を紛らして過ごしています。
もう…あれから一週間…初七日です。
早いです…でも、やはりまだ妹が亡くなったなんて信じられていないというのが正直なところです。
最初は片耳が聞こえにくいということで病院で検査を受けたとのこと。
その結果…悪性の腫瘍であるらしいとのこと。
しかしあまりよく何を言っているのかちょっとわかりづらくて…
病名やら今の状況やら手術するのかとか今後の治療方法とか云々…
聞いてもわからないとか、まだとか、なんとかかんとか・・
どうにもこうにも私もどうしたものかと・・
それで次に病院へ行く時に一緒に行くと伝え…
そして10月20日…
妹の旦那からようやく電話がかかってきた。
すると、最初は何を言っているのか私の頭の中でぐるぐる・・・
とても整理つかない状態。。
ちょうど旦那がいたので電話を代わってもらい、話を聞いてもらった。
8月初め頃、片方の耳の耳鳴りがするということで病院へ行く。
耳の入り口にデキモノがあり、組織を採って検査をし、その結果をすぐに聞きに行かなかったそう。
8月の終わり頃にようやく検査結果を聞きに行く。
しかし…そこで悪性の腫瘍で手術など治療をしていかないといけないようなことを言われるも、その病院(S病院)では手術など無理だとのことで、DN病院を紹介される。
その後、妹は体調もすぐれないらしく、しんどいとかフラフラするとか…
約2か月ほど放置?していたよう・・(そんな状態なのに・・・)
こちらも電話など連絡しても特に何も言われない…妹家族(旦那や娘たち)からも特に何も連絡来ず…
…で、連絡来たと思ったら、もう言葉にすることが出来ない。
19日午前、妹の旦那が仕事へ行く前は特に変わった様子もなく普通であったらしいが、その後意識がなくなったらしく、病院へ行くと・・
癌が頸動脈に巻き込んでいる。
首から脳にいく頸動脈を腫瘍が大きくなっている。
手術のしようがない。
放射線などの治療をしても無意味。
意識がなかったり朦朧としていたり。
点滴で栄養を送っても、本人の栄養にもなるが癌の栄養にもなるため、どうすることも出来ない。
私自身、今何をしたらどうしたらいいのか頭の中でぐるぐるしているだけでわからない。
10月21日(水)
私は、S病院へ出向き、ナースステーションにて担当医から妹の病状など話を聞きたいと申し出る。
しかし・・・最初はご家族の方に、みたいな感じで少し待たされたが、妹の夫から話を聞くもどうにも理解できないと言って詳しく聞きたいと・・・二人きりの姉妹なので。。
20~30分程度待たされたが、担当医も応対してくださった。
(この時点での妹とは病室は面会謝絶となっており、身内だろうが会われない状態であった)
だいたいの話は妹の夫からのと同じなんですけど、8月5日初診…左耳のデキモノわずか2ヶ月ほどで腫瘍は左耳の入り口から脳・・・頭の中に入り込み8㎝ほどに肥大。
頚動脈やら脳などに巻き込んで、誰も手出しできない状態にまでに・・・。
やはり19日朝に意識障害を起こし病院へ、そして普通そこまで腫瘍が肥大し脳にまで来ていると痛みも相当だと思うが、意識が既になくなっていることから痛みも相当きつくつねらないと感じないまでになっていたとのこと。
私が病院へ行った21日には担当医より、もう意識は戻らないと言われる。
そして、この状態だと2ヶ月とか持たない・・・数日かも、すぐかも知れないと。。
もうそのあたりになったら、私は先生が何を言ってても はぁー そーですかー うーん など言うも耳から耳へというより、耳から頭へ言葉が突き抜けていってた感じです。
病名:聴器癌 頭蓋内浸潤 (扁平上皮癌)
この時点では点滴治療?として脱水を防ぐための点滴(水)をしていました。
もし・・・数日経過し10日以上とかになってくると、水だけの点滴だとむくみが発生するので、そのときはそのときで考えるというか、栄養分の点滴も考えないといけないが、今は栄養分を摂ると本人の体に栄養を送るのはもちろんのことだけど、癌にも栄養となってしまうとのこと。
先生より、かなり変貌しているかと思いますが会われますか?と言われ、ここ最近は会っていなかったし、そんなあと数日かもとか言われているのにココで会わなきゃ…とも思ったし、でも意識は全くないから会っても反応はないと言われましたが…。
病室の入り口で手袋(医療用?薄いゴム製のピッチリしたもの)をして、不織布みたいな割ぽう着のようなのを着て帽子も髪を覆うようにして着けて…ようやく妹と対面。
もう見た瞬間に衝撃を受けました。
ココにいるのが妹?
しばらく声が出ず…でも看護師さんから、声は最後まで聞こえるところだから意識がなく反応なくても届くから話しかけてくださいね。と言われました。
看護師さんが病室から出て行ったあと、少し呆然としていたけど、勇気ふり絞って声を出してみた。
もう涙声しか出てこなかったけれど、一生懸命いろいろ語りかけた。
この時、妹と会ったのが午後2時前後くらい。
そして病室を出てナースステーションに挨拶して病院を後にした。
その後、母がこのS病院と隣接している施設にて入所しているので、母のもとを訪れた。
母にはやはり…昨年に母の妹(私の叔母)がなくなったことさえ伝えられていないのに、妹…自分の娘が今こんな状態であると…伝えることが出来なかった。
でもほとんど毎日のように妹が近所に住んでいることもあり、母のもとを訪れていたのが姿を見せなくなっていったら・・・言葉には出さないかも知れないが、なんとなく気づくんじゃ…と。
この日、私も母を見て笑顔を見せてると涙が出てきそうですごくつらかったが…母の前では泣かずに頑張った。
午後3時過ぎかな…母のところから出て、自宅に帰るため駅へ。
近所に叔母(母のもう一人の妹)が住んでいるので、会って妹のことを話した。
そこで思わず涙があふれ出た。。
叔母も初耳!!しかも10日ほど前に妹夫婦や子供たちと歩いているところを見たばっかりだと…
いっぱい叔母に話して、ちょっと長居をしてしまったが、電車に乗り買い物を済ませて自宅に帰りついた。
ちょうど旦那も私より数分前くらいに帰宅していた。
そして夕飯の用意をしているところへ、携帯が鳴った。。
出てみると妹の旦那からだった…開口一番『ごめん…』
何言ってんの?しばらく『ごめん』としか言わない…
『あかんかった…』
何が?
『10分前に…心臓止まった』
もうそのあと何を言ってるのか・・電話を旦那に代わってもらい…しばらくして状況が…
さっき数時間前に妹に会ったばかりなのに…
それからは怒涛の時間が流れていって、バタバタと動いたりガンガン喋ったりしていると気がまぎれる…と言う言い方は変だけど、少しでも考える隙が入っちゃうと涙が止まらなくなってくるから、とにかくバタバタ動いた。
10月22日(木)
通夜は翌23日19時からとのことでその準備とかに追われる。
妹が眠っているところへも行き、しばらくそこで過ごす…
10月23日(金)
午後に妹は葬儀場にて祭壇(?こんな字だっけ?)に…
19時より通夜が始まる。
住職の読経を聞いているうちに涙がどんどん出てきて、会葬に来てくださっている方のお顔も涙でわからないまま・・
10月24日(土)
午前10時より告別式
そして火葬場へ…妹と最期の別れを…
なんなんやろ、涙はとめどなくあふれ出てくる。。
お骨になってしまった妹と対面…でも信じられない、これ妹と違うんちゃう?なんて思ってみたり。
でもお骨の部位などの説明がされる中、喉仏を見せられた瞬間、まさに座っている仏様が手を合わせているかのようなすごいハッキリした形の喉仏を見て、涙がぶわーっと出てきた。
今までにも父や叔母、祖父、旦那の父、母と葬儀に立ち会い、火葬場にも行き、お骨の喉仏も見てきましたが、すごい綺麗な形をした仏様の姿をした喉仏を見たのはこれが初めてと言っていいくらいでした。
それから…涙は私にボーっと考える隙をあたえると出てくるので、何でもどんなことでも喋ったり、我が家の愛猫のことをブログに綴ったりとして気を紛らして過ごしています。
もう…あれから一週間…初七日です。
早いです…でも、やはりまだ妹が亡くなったなんて信じられていないというのが正直なところです。